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ウラロジの日陰者

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  • 04/27/15:44

07.01.23:51

魔女っこ姉妹の

ヨヨとネネ。

映画公開してたときに劇場で観たのですが、DVDが発売されたのでTSUTAYAで借りて数ヶ月ぶりに観てました。
かなり観やすい娯楽作品だなという感じです。燃やしたり凍らせたり雷落としたり、ところによってスカートからマスケット銃を取り出して相手を蜂の巣にするタイプの魔法が主流の昨今で、この作品の魔法はかなり魔女魔女しいですね。植物とダンスしたり服を変えたり。画面もよく動いて楽しいのと、絵本のような魔法のエフェクトがいい感じ。話自体も変にひねくれてなくて好感が持てます。

ただ、見返してみてやっぱり後半はやや詰め込みすぎなのは否めないかなと。

実はこの作品劇場で3回も観てるのですが、それというのも、一回目観たときどうも腑に落ちなかったからという。

一番妙に思ったのは、ヨヨさんの成長パートのテーマと作品のオチがいまいちかみ合っていないように見えたことです。
どうやら魔女は魔法で死人も生き返らせられるようなので、彼女にとって命は案外軽いものだったのが、タカヒロとのやり取りやビハクのくだり、あと病院の描写で、ヨヨさんが個々人の命の重みを感じて世界を守ろうとするように変わっていく、まではいいんですが。

この作品にはその成長に見合う敵が居ないんですよね。元凶が事件じゃなく、ただの事故なんですよ。

実際のところ呪いを引き起こしていた大本がそもそも人々の自分勝手な願いでしたという展開になるので、その人々が今回の敵役だったといえなくもないんですけど、ただしこのラスト付近の論旨って、あくまでも自分勝手な願いが呪いになって、誰かを思う心が救いになるという構図で、ヨヨさんが命の重みを感じていく描写とそれほど対応していない、あるいはヨヨさんが命の重みを感じる描写が無くても成立しそうだなと思えるわけです。現にヨヨさんは最初っから、泣きそうになるアキちゃんを魔法で喜ばせてあげようとしていたわけで、ちゃんと誰かを思って魔法が使えてるんですよね。
そうなると、あれだけ観客を引き込むように作られているビハクが死に掛かるくだりとかも、単にヨヨさんが世界を守る動機付けとしての働きしかない、機械的なシーンに落ち着いてしまう。それがなんだか勿体無いんですよ。

なので僕は、この展開ならそういう人々の自分勝手な願いを利用して、しかも人一人のことなんぞゴミクズのようにしか思っていない巨悪が居てもよかったのではと思います。

ちなみに最初見たとき僕は、その黒幕が依頼に来たナオの妹なのではと思っていました。


あとは、ヨヨとネネなのにネネさんの活躍が異様に地味とか。

ペッツをアキが持ってた理由がものすごい取ってつけた感とか。

魔力が無いと魔法が使えないと思っているの? と言った割りに、ラストで、この世界は人々の魔力を少しずつ使って動いているんです。今は魔力に満たされているから云々  って、やっぱり魔力が無きゃ駄目なのかよ とか。


かなり良い感じの娯楽映画なのでいろいろ気がかりが残るのが勿体無い。

まあでも一度オチを知ってからは、楽しいとこだけ素直に楽しめましたし、結構好きな部類の作品なのは間違いないので、またそのうち観たくなるのは間違いないと思います。


DVD買おうかなぁ…
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